雑誌沿革

株式会社リバーシブル 雑誌沿革

 岡崎のタウン誌「リバーシブル」が誕生したのは1980年の3月。300号を機に一番ディープな岡崎本「リバ!」という名称に変わりA5版からA4版になったが、今でも継続して発刊していることや名称が変わったことを知らない人がいたりすると、歴史の浅さや力不足を痛感したりすることもある。持ちあげるわけではないが、それだけ先人が築きあげてあげてきた歴史は偉大である。

リバーシブルはなぜ誕生したのか?

 「リバーシブル」が創刊された1980年は、タウン誌がブームだった年でもある。全国各地で新しい媒体が発行され、リバーシブルもその波に乗ったという側面はある。ただあくまで側面だ。発行者は『ペーパードール』という喫茶店のオーナー。お客さんとの会話の中で、「岡崎はおもしろくない」という声をたびたび耳にした。本当は面白いまちなのに、みんなはそれに気づいていないだけ。だったら面白さを伝えよう!岡崎への郷土愛をみんなに持ってもらいたい!そんな想いから「リバーシブル」発行へと舵をきった。
 発刊当時は、本当に続くのかという懐疑的な目でみられたりしたという。一方で、もろ手をあげて歓迎した人もいた。創刊号をみた読者からの投稿で「京都の某有名大学で学んでいますが、悪友達にいつもタウン誌もない田舎町と私のホコリを傷つけられてきたのです(原文ママ)」とあるように、タウン誌がないまちというのは田舎で文化的成熟度が低いという見方をする人に対して、岡崎市はある意味武器を持ったといえる。

日常で人がつながる

 今、発行されている多くの雑誌との違いとして、本誌は会員店制度をとっている。要は、毎月の掲載と設置をしてくれるところを会員店としている。創刊当時はこの手法が主流であったが、今はその限りではない。なぜ会員店制度を採用したのか?それは、まちの情報源は人だからである。どれだけ人と会うことがができるかって大事であり、毎月リバーシブルを持って配送にいって、会員店の皆さんと話をする。そこで面白いと思えるものを拾ってくることができる。その情報は何気ないものだってある。あそこの息子はこんなに大きくなったんだとか、あの人はこんな活動をやっているんだといった日常を伝えることで、おぼろげながらまちの形がみえてくる。それを「リバーシブル」で掲載する事で、読者や会員店同士のつながりが生まれた。

タウン誌とはなにか?

 前述したことをまとめれば、タウン誌とは郷土愛をもった地域の情報紙ということになる。個人的な見解でいえば、大げさだが歴史的な遺産だと思っている。明治以前の記録は結構残っていても、意外と昭和以降はない。ましてや、まちの日常を記録したものなら尚更だ。究極のローカルである個人にどれだけ迫れるか、これがタウン誌の醍醐味でもある。また、日本人は悪いことに目がいく傾向がある。もちろん遠慮している部分もあると思うが、良いところを発信することはなかなかできない。それはまちにも同じ事がいえる。

まちをクリエイトする。そして、伝えていく

 先人の意志を受け継ぎながら、今の「リバ!」が行っていること。それは誌面で伝わっていれば幸いであるが、まちにあるものを紹介しているだけでなく、まちの形成にも力を注いでいるつもりだ。例えば、「味噌崎プロジェクト」「おかざきバル」「いのりと和」「おむすび通貨」「きらきら三土市」など、いかにまちと関わるのかが大事だと考えている。まちの形成には携わる人が必ずいて、馳せる想いがある。その想いを伝え、共にこのまちを築きあげていくことが、タウン誌の使命なのではないか。